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【心と技のあいだ】
vol.046 2007.7.23
発行者:有限会社シーケン社 経営実務コンサルタント 谷口隆
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〔 京都青年会議所からの講演依頼 〕
京都青年会議所から講演要請があり、来る9月7日(金)18:30〜
の講演をすることになりました。
なんと!・・・でしょう?
実は、現理事長の人見さんとは3年ほど前、感動セミナーつながりで、
交友関係が出来ました。
人見さんはまだその時は理事長さんではなかったのですが、本年度理事
長になられ、経営資質向上委員会と言うグループを立ち上げられました。
そして人見さんから「委員会が何をして行ったらいいのか谷口さんのと
ころに相談に行ってきなさい」と言われて、この会の代表の秋山委員長が
当社に来られました。
秋山さんは、「実践的に役に立つことをしていきたい」という希望を持
っておられたのでコンピテンシーについて語ったところ、「それがいいで
すね」ということで、それをテーマとして取り上げるということになり、
今年の1月から有志一同でコンピテンシーについて勉強会をしてきました。
そして、その結果得られた資料とノウハウを元に、今回の実践講習を開
催する運びになったというわけです。
1回の会議で最低4時間、長い時は7時間くらいという凄い時間を費や
し検討を進めてきました。
勉強はその準備段階でかなりの付加価値を生み出すものです。
だから、今回これに関わったメンバーは大変な収穫を得ているはずです。
オープンセミナーと言うことなので、一般市民も参加OKみたいなので、
正式な案内が来たらまた呼びかけます。
いずれにしろ、私がJCで講演会? ちょっとした話題です。
さて、前回は「CKENヒストリー/その5」をお送りしました。
マレーシアへの海外出張とオフィスコンピュータ導入および転職のきっ
かけなどについて書きました。
まっ、人生いろいろです。
では、やっと本編の始まりです。今日のテーマに行ってみましょう。
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本題に入る前に「心と技のあいだインジケータ」で今回のテーマの位置
付けを確認しておきましょう。
<考え方の技術> <考えを行動に移す技術> <行動の技術>
「心」→→→→→→→→→(×)→→→→→→→→「行動」
今回も、インジケータが故障でレベルを表示できないのでお許し下さい。
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< CKENヒストリー その6 >
1.はじめに
皆さんは転職の経験はありますか?
転職する時って本当に苦しいですよね。
辞める時、どう言い出したらスムーズに辞められるか、仲間・友達と別
れるのも辛いし、しかし今の職場には居られないし・・いろいろな考えが
複雑に絡み、次から次に襲ってきて、頭がパンクしそうになります。次の
ステージに行くまでの産みの苦しみですね。
私も例に違わず、苦しみました。
前の会社では「自分はここで骨を埋める覚悟である」とまで言い切って
いましたからなおさら大変でした。
直属の上司からさらに上の上司、そして社長と面談し、やっと許可をも
らいました。
そして、昭和57年にO社という近畿システムハウス協会に所属する会
社に入社しました。例のマイコンクラブの会社です。
給料も良くなりました。嬉しかったですね。
そこの社長は、前の会社と同業の会社を2代目として経営しており、な
んとなくややこしい関係でした。
その社長は私より年下だったので、はじめは社長というより友達気分で
した。
そして、ここでは6年間勤続し、今度は新しい方向を見つけて旅立つこ
とになります。
今回は、その時代のことを書いてみます。
2.最初の仕事
その会社は、マイコン(パーソナルコンピュータ)を使った産業用機器
を開発する会社でした。
私はコンピュータのエンジニアになりたいわけではなかったので、また
そういう基礎知識もなかったので、どんな仕事に就くのか不安でした。
それで、最初に指示されたのは、親会社のオフィスコンピュータの管理
者として出向するという仕事になりました。
その親会社の工場はO社と同じ敷地内にあるので便利ではありました。
何をするかというと、既に稼動している在庫管理システムのプログラム
解析でした。取り扱い説明書がなかったので、コボルというプログラムを
分析して、システム仕様書を作るという仕事でした。そして、それと併行
して、現場の改善をすることでした。
これがなかなか厄介で、そんなコボルなんてなプログラム言語を見るの
も初めてだし、どうやってそれをするのかも分からないし・・・でもその
プログラムを作った業者の人が親切で、いろいろ教えてくれたので、時間
をかけて少しづつフローチャートを作り、仕様書に仕上げました。
はじめは誰も出来ないですが、粘ってやれば出来るものですね。
3.ワープロ導入
そうこうしている内に、社長が突然ワープロを購入しました。
それまではワープロというものがなかったのです。そうです。昭和57
年に日立がワードパル7というワープロを出しました。
社長は仕事柄新しいものが好きで、すぐに購入し、「谷口君、すぐにこ
れを使えるようにして!」とそれを私に渡しました。
私もメンツがあるので、必死でそれに応えました。
あれ以来、私はワープロの奴隷と化したのです。
そうですね、だからかれこれ、26〜27年、ワープロをしていること
になりますね。
4.ゴルフコンペ事務局
ある日社長は私を呼びつけて、「谷口君、頼みがある。同業者30名ほ
どで結成しているゴルフコンペの事務局を引き受けてきたので、手伝って
欲しい。」というのです。
その会の名前は「大仏会」(途中改名「紫水会」)と名乗っていました。
この会が曲者で、前文に相当のヒネリをいれないといけないのです。
それを任された私は、なぜかそんなところでコピーライターの才能が開
花し、案内を読んだ社長連中から、かなりのお褒めの言葉を頂きました。
しかし、この時に、文章の書き方、気配りの大切さ、タイミング、デー
タの正確性、手配の仕方、再確認の重要性、など事務局の大変さと喜びを
いろいろと学ぶことにもなりました。
こういう経験もノウハウの一つですね。
任されたことを全力で行うことの意味を教わりました。
5.現場改善手法学習
親会社に、現場改善を主としたコンサルタントの先生が来られることに
なりました。
生産管理、現場改善に強いというのが私の評価(ある意味、私は社内で
は浮いた人材)だったので、この先生のカバン持ち、いやこのプロジェク
トの事務局として同行するように命じられました。
そこで、本当にいろいろと「改善」についての技法を学びました。
私が今までやってきたものと基本は変わらないのですが、その先生の話
はしっかり理論武装されているなあと感じました。
今もその時にゲットしたノウハウを使っています。
徹底した工程分析、問題点絞込み、改善アイデア会議、改善実施方法、
チェック&フォロー、報連相の仕方まで、本当に徹底したPDCAのサイ
クルを叩き込まれました。
それが、今の私の基礎を作っているのは間違いありません。
6.社内改善
自分の会社のことも、総務・企画係りとしていろいろやりました。
会社案内の編集、社内報の発行、人事育成・考課制度の研究・構築、コ
ンテンジェンシープランニング(危機管理手法の一つ)の研究、品質管理
データのコンピュータ化、社内管理ルールの構築、NM法(創造性開発技
法)の受講、経理作業の電算化、人間性開発技法「AIA心のアドベンチ
ャー」の受講(A・アドラーの思考法)などなど。
売上に貢献するような直接の仕事はしませんでしたが、その他のあらゆ
る仕事を経験させて頂きました。
7.顧問来る
昭和60年に、経営指導を受けるため顧問に来て頂く事になりました。
元松下電器の関連会社の社長を勤めておられた方で、凄く頭の切れる方
でした。
この顧問は毎週定例曜日に会社に来られます。主に対応するメンバーは、
総務の部長と私です。
まず、中期3ヶ年計画を立案することになりました。
先週の宿題をチェックされます。
顧問「で、資料はできましたか?」
部長「はい、出来ました」と顧問に差し出す。
顧問は、資料を見もせず脇に置いて、「で、どういう意図でこの資料を
作りましたか?」
部長「え?」
顧問「だから、この数字を作った根拠です。それを聞かせて下さい。」
ね、なかなか切れるでしょう?
顧問「資料にある数字は結果論です。その前に何故この数字にしようと
したかと言う意図・根拠が必ずあるはずですね。」
部長「毎年前年の10%にしました」
なんて言おうものなら、ネコに鰹節、馬にニンジンです。
顧問「「それは何を意味しますか?何故ですか?どうしてですか?」と
ちくちくチクチクと突かれます。
つまり、意志を確認されているのです。
この目標数字はどういう根拠で、その根拠がどれくらいしっかりしてい
て本当に達成する気があるのかを確認されるわけです。
だから、紙に書いた資料より、その意思確認を優先されるわけです。
顧問「数字はどうにでも作れます。その前に、あなた達の数字に対する
やる気を見たいのです。」・・・参りました。
この様に理詰めの顧問ではありましたが、「詰めの最後の最後は逃げ場
を作って上げなさい」と言われていました。
居直ったらおしまいと言うことなのでしょうね。
詰めはするが詰めきらない。そのあたりがまた上手いんですよね。
もう一つ。
顧問がまだ中間管理職のときに、ある提案を事業部長にしたそうです。
そうすると、部長はその企画書の中身も見ず、その資料を脇に置かれて、
「受け取りました」とだけ言われたそうです。
「くそっ」と思って、また書き直した企画書を持って行ったら、チラッ
と見て、また同じ様にされたそうです。もうめげそうになって、しばらく
放っておいたのですが、どうしてもそれをやりたかったので、再度書き直
して持参したら、部長は中身を見ずにOKされたそうです。
「何故、今度はOKですか?」と聞いたら、部長はこう言われたそうで
す。
「君の考えて提案してきたことは、当然会社のために良いことだと分か
っている。見もせず返事もしなかったのは君の本心・やる気を知りたかっ
たからだ。何回も提出することで、君の決心の度合いを見ていたんだ!」
と。
顧問は当時は、なんと嫌味な人かと思っていましたが、だんだん顧問の
凄さが分かってきて、本当に勉強させて頂いたなぁと感謝しています。
8.英会話講座
社長の「これからの人材は英会話が出来ないとだめだ。」と言う一声で
社内で週1回のスクールが開かれる様になりました。
当然私が担当者です。
ここのスクールは、全てネイティブの先生です。
ネイティブとは、「その土地生まれの。地元民」という意味で、まった
く日本語が分からない日本へ来たての外人の人達が教えに来るわけです。
会社は直近の駅から徒歩で12〜13分かかるので、私が車で迎えに行
きます。
駅から会社までは私と先生の二人きりです。
黙っているのもなんなので、話しかけます。
「今日は道が混んでいます。」と言いたいのですが、なんと言えばいい
のかわっからな〜〜い。
「道」はロードだけど、「混む」なんて知らない。だから「トゥデイズ・
ロード・イズ・ノット・スムーズ」ってなことを言うわけです。
そうすると、なんとなく分かってくれたみたいで、「トゥデイズ・トラ
フィック・イズ・ジャム」とかなんとか言い替えられました。
「そう言いたかった」って言いたいけど言えないので、もちろん、「イ
エス、イエス」と答えるのみでした。
しかし、お蔭様で挨拶くらいは出来るようになりましたね。というより、
度胸が出来ましたね。
「ナイス・トゥ・ミーチュー」が言えますからね。
もう一つ、名前を聞くのに「ワット・イズ・ユア・ネイム?」は失礼だ
ということもわかりました。それで「メイ・アイ・アスク・ユア・ネーム
?」と聞く事が出来ます。
「ワット・アバウト・ユー?」も言えますよ。
9.野生のしっぽ
そんな中、社長はまた新しい人材をハンティングしてきて、親会社の要
職に就けました。
私はどちらかと言うと企画畑でしたが、その新しい人は、営業畑で当然
動きも派手で、社長の信頼は私より段々そちらに傾いてきました。
それから、組織変更で昇進の話が出ていて、同年の営業マンと私が課長
に昇進するといううわさがありましたが、発表されると、私は課長の下の
係長止まりでした。なんとなく嫌な気分でした。
それに、私の部署では上が部長でそれ以上の広がりが期待できないので、
全て便利屋的に使われいる、邪魔者扱いされているという様な気分に陥っ
てしまいした。
そんな自分の中での不満が溜まって行く中、史郎に相談しました。
そしたら、何か二人でやらかそうという話で盛り上がりました。
いつも、寝屋川市池田のロイヤルホストで、コーヒーとポテトで深夜ま
で話しこみました。
そして、史郎の技術と私のドキュメント力で機械製造の会社を興そうと
いう相談にまで展開しました。
この頃に、ひょっとしたら私には「野生のしっぽ」があるのではないか
と思い始めました。
野生のしっぽとは、「自分がトップで仕事をしてみたい」ということを
意識するタイプの人間であるということです。
そんな夢のある話をしていると、現状がますます嫌になってきました。
前の会社を辞めた理由を思い出し、また同じ様なサイクルに陥っている
と認識しました。
自分を信じて、自分の個性を活かせる仕事は自分がトップになってする
しかない。新境地を求めて出発しようと決心しました。
それで、ある日会社に「辞めさせて下さい」と伝えました。
10.引きこもり?
しかし、会社は簡単にはOKをくれませんでした。
「辞めさせて下さい」と言ってから半年くらい経過したある日、心労が
重なって病気が再発しました。
だるくて痛くて起き上がれなくなったのです。
医者に行き、血液検査をした結果、溶連菌感染症・多発性関節炎と診断
されました。
この病気は、「溶連菌感染によって誘発される自己免疫性・アレルギー
性疾患リウマチ熱(英:リュウマティックフィーバー、略称RF)いわゆ
る膠原病の一種で、心炎、多関節炎、発疹(輪状紅斑)、皮下結節、不随
意運動が主症状である。」というものです。
これで動けないので、結局1ヶ月ほど会社を休んでしまいました。本当
に身体の節々が痛くて起き上がれないのです。
そうしたら、部長が家に見舞いに来ました。
多分、出社拒否症と思ったのでしょうね。いや全く、気分はそうでした
からね。
11.退職そして独立準備
史郎とは、着々と独立の準備をしていました。
それで最終的に、日にちを決めて、会社を辞めさせてもらうことに決定
しました。
辞めることに関して、メッチャメチャぼろかすに言われました。
でも、じっとしていてこのまま腐るより、自分の行く道を歩きたいとい
う思いが強く、結局、昭和62年に会社を飛び出しました。
そして、会社の設立準備を始めました。
12.次回案内
今回は新しい会社に移って6年間働き、結局独立へと移っていく過程を
書きました。
次回は、独立してのイバラの道をお送りします。
人生、甘くないことを大損して学ぶことになります。
ではまた次回、お会いしましょう!
<<<< 有益な情報コーナー >>>>
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第5回CHP(シーケン・ホーム・パーティ)を開催します。
開催日は、9月8日(土)PM7:00〜10:00です。
場所は梅田周辺を探しています。
イベント内容も未定です。
本日の段階で42名の参加申込みを受付けています。
メルマガをお読みの方も参加資格ありです。
参加希望者は、ご一報下さい。
ディズニー博士、加賀屋克美さんも参加されますよ〜〜ん!
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●編集後記
転職の苦労をまたもやしてしまいました。
このプレッシャーは、本当に身体を壊しかねない、いや壊すということ
ですね。
身をもって「うつ」を経験しました。
だから、うつの人の心理もわかる様に思います。
こんな私が?と、お思いでしょうが、あるんですよね、そんなことが。
しかし、次回それ以上のどえらいことが起こってしまうのです。
人生最大の危機に直面するCKEN谷口さん、次回をお楽しみ(?)に!
ではまた、次回お会いしましょう。
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