このページの本文へ移動

全てに主となる (無責任でないこと)

メルマガ再録 (2007年4月23日) 第40号


「全てにおいて責任を持つ」ではしんどすぎるので、「無責任でない」「関心を持つ」くらいのトーンでいいでしょう。1つ1つのことに対して興味と関心をもって接することで多くを学ぶことが出来ます。

           < 全てに主となる >

1.はじめに

 以前、ラポットカンパニー&ウッディチキン代表の伊藤豊先生から行徳
哲男先生の「随処に主となる」というCDを頂いた時から、この言葉はず
っと気になっていました。
 行徳哲男先生とは、昭和8年福岡県生まれ、日本BE研究所所長、著書
「随処に主となる」致知出版社等を出版さている著名な先生です。。
 その言葉を自分では「全てに主となる」とずっと思い込んでいて、今回
のタイトルにしてしまったわけです。
 一度深く考えてみたい内容だと思っていたので今回のテーマにしました。

2.「随処に主となる」の解釈

 気になるのでインターネットで「随処に主となる」で検索したところ、
以下の様な内容が見つかりました。余りにも良く出来ている文章なので掲
載します。
 細かいことですが、行徳先生は「随処」と書かれていますが、下記文章
では「随所」となっていて「所・処」の字が違いますが同じ意味と解釈し
ます。
<ここから>
「随所に主となる」とは、自主独立の精神を説いたものです。この言葉は
『臨済録』という禅宗の教えからきています。「なんじ、すべからく、随
所に主となれば、たちどころに皆真なり」がそれです。“独立者はどこに
立っても周囲と調和していける”これがその意味するところです。これを
主人になるとか、中心になるととると、丸反対に解釈してしまうことにな
ります。この「随所に主」という考え方は、仏教の根本原理である「諸法
非我」(「諸法無我」ともいわれる)の立場と符合するものです。それは
“万物は相互関係によって存在している”ことを述べたものです。さて、
その「随所に主となる」ために、ここに次の二点を提唱したいと思います。
   「いつも円満である」
   「決してグチをいわない」
相互に確認し合うために対句になっています。言葉は簡単でも実行はそう
容易なものではありません。何はともあれ、私たちの毎日は不断の前進で
なくてはなりません。そのためには、積極的によい言葉に置きかえる工夫
が求められます。必ずしも妥当な表現とはなっていないかも知れませんが、
次にいくつかその例をあげてみました。人間の言葉と感情の関係は、交互
の“はね返り”であることがわかります。
   ぶしつけ     → 開放的
   不親切      → てきぱき
   おしゃべり    → ほがらか
   いいかげん    → 幅がある
   うるさい     → にぎやか
   ずさん      → 大らか
   出しゃぱり    → 気がつく
   優柔不断     → 慎重
   あつかましい   → 積極的
   欲ばり      → 意欲的
   怒りっぽい    → 率直
   ほら吹き     → 博学
   うすのろ     → ひかえめ
   うぬぼれ     → 頼もしい
   軽薄       → 気さく
   癖がある     → 個性的
   おっちょこちょい → 活動的
   神経質      → 繊細
   恥しらず     → たくましい
   いばってる    → 貫禄がある
 このような言葉が臨機応変に出てくれば、その時がまさしく「随所に主」
となった状態といえます。
<ここまで>
 これって結局は、プラス思考であったり、リフレイミングであったりと
言うことに他なりませんね。
 しかし、この右側の言葉がなかなか頭に浮かばないですよね。
 「随処に主となる度の向上」には一度これをテストしてみればどうでし
ょうか?

3.無責任でないこと

 では、私なりに「全てに主となる」を考えてみたいと思います。
 私が言いたいのは、どんな場所、どんな場面においても「無責任でない
こと」です。
 「全てにおいて責任を持つ」ということは、どう考えてもヘヴィー過ぎ
ますよね。余りにも理想的過ぎるし、「そんなん、しんど過ぎる」と言う
声が聞こえてきそうです。
 だから、「無責任でないこと」でいいと思います。
 この「無責任でないこと」のポイントは、小さいことを無視しない、1
つ1つを大切にするということです。
 相手の話を聞くときに、無責任なら空返事をしてしまいます。しかし「
無責任でない」という態度は、相手の話をきっちり聞く姿勢を持っている
が、その内容に対しては責任が取れるとは限らないよという姿勢です。
 自分には関係ない事柄も、「私には関係がないから」と無視するのでは
なく、姿勢としては関心を持つが、「自分にはまだそれが出来ないのでち
ょっと待って下さい」ってな感じですね。

4.全てに主となる

 先ほどのホームページからの引用文に、「独立者はどこに立っても周囲
と調和していける」「これを主人になるとか、中心になるととると、丸反
対に解釈してしまうことになります。」とありました。
 私が考える「全てに主となる」とは、自分の内部の問題であると定義
しています。つまり、「私ならこう考える」という主体性をもった視点、
姿勢を持つことを言います。
 先ほどの項目で書いた様に、全てに責任を負うというのではなく、あく
までも自分の頭の中で、「私ならこうする」「もっとこうすればよくなる」
「これはヒントになる」等のように、「見る」ではなく「観る」、「聞く」
ではなく「聴く」と言うように、積極的に受け入れるということです。
 例えば、パーティに招待されたという場合、会場の設営や進行などを観
察することです。セミナーに行ったら、受付の方法や進行の状況、時間配
分などを観ることです。会議に参加すれば、議長がどの様に進行している
か、議題がどの様に処理されていくかの流れを把握することです。
 こういう考え方・観察の仕方が出来るようになると、雪だるまのように
自分の幅が出来てきます。
 そりゃそうですよね。
 今までぼ~~として見ていたことを主体性を持って注意深く観ることに
なればより幅広い知識が習得出来るし、より細かく聞くことが出きれば今
まで聞けなかった声が聞こえるようになってきますね。
 そうすることによって、人格が格段に向上します。
 これが「全てに主となる」の極意です。

5.中心軸を持つ

 しかし、糸巻きの芯がないと巻くことが出来ないように、自分の中心軸
をしっかり持っていなければ、主となって聴いたことも、観たことも、動
いて感じたことも積み重なりません。
 「自分の中心軸を何に置くか」という命題は、非常に重要です。
 「~~に生きる」とタイトルを決めれば分かりやすいかもしれませんね。
 「誠心誠意に生きる」「利より信に生きる」「優しさの中で生きる」等
と考えてみれば、自分の生きる道が見えてくるのではないでしょうか?
 それが見つかれば、それを中心軸として、全てに主となって考え、行動
していくことで、自分が磨き上がっていくことでしよう。
 私は若い頃、そうですね、30歳くらいの時かな? パートのおばさん
たちに非常に受ける存在でした。
 しかし、その時、私の言った不用意な一言がその人を深く傷つけ、それ
以来私を避けるようになり、まずい空気が流れる様になってしまいました。
 私はリカバリーに努めましたが、一向に関係はよくなりません。それ以
来その人は軟化することはなくそんな暗い関係が固定してしまったのです。
 相手を傷つけたことは言い訳のしようもありませんが、私もひどく心が
痛み傷つきました。
 こんなことが起こった原因は、先の言葉の置き換えにもあった、マイナ
ス系の言葉で人を笑わせて人気を取っていたことのしっぺ返しだったので
す。
 それ以来、笑わせる時はプラスの言葉で笑わせようと反省し、決心しま
した。これが中心軸が定まった瞬間です
 そこから私は明るい笑いに気を配るようになり、トラブルはなくなりま
した。
 私は若い頃、非常識人間として通っていました。
 しかし、今は常識人と思われて、「こんな時どうするんですか?」なん
て質問をよくされます。常識って難しいですよね。
 ある人にとってはAが常識だが、別の人にとってはBが常識だったりし
ます。
 まして、若い頃は中心軸って言われても、そんなもの知ったことかとい
う感じです。
 中心軸は、常識ということではありません。自分の考え方の背骨です。
あくまでも「自分の」というところが主体です。
 ということで、私の例からして、それを忘れず積み重ねていくことによ
って、それが常識と擦り合わさって、共通の領域に来るんだと思います。

6.見栄を張らない

 もう一つ、中心軸が定まった瞬間がありました。
 それは、私が事業を失敗した時のことです。
 「会社を興したのだから世間並みにしないといけない」という囚われた
観念がありました。そこで、社名入り封筒を作ったり、会社のロゴラベル
を作ったり、接待などをしました。
 今考えると全く滑稽です。其の時は真剣にそうしないといけない、そう
するものだと思っていました。そんなもんなんですね。形に囚われて、自
分を見失っていたのです。
 それで事業が失敗し気付きました。
 「本当にすべきことは何なのか?」「自分が出来ることは何なのか?」
を真剣に模索し、今のスタイルを再確立してきました。
 見栄を張るという行為は、結局は弱いものが自分を大きく見せるため、
また競争の原理で、比較してしまうという囚われから来るものです。
 それがなくなり、見栄を張らなくてもよいようになった時点で開放され
ると自分らしさが復活し、中心軸が見えてきます。
 そんな、生き方を見つけて、早く自分を確立して下さい。

7.最後に

 「全てに主となる」という内容は理解できましたか?
 ベンチマーキングやアナロジカルシンキングは、ひょっとしたらこのテ
ーマに近いものがある様な気がします。
 今回のテーマは、目にする全てのもの、耳にする全てのことに関して吸
収効率を向上することで、人間性を向上しようと言う提案でした。
 と言ってもシャカリキにならないこと。
 マイペースで結構ですよ。
 しかし、この視点を持っているといないとでは、先に置いてえらく違っ
てくることは間違いありませんからね。
 人生の先輩が言うのだから、間違いない!

                 ではまた次回もお会いしましょう!

comments powered by Disqus

▲このページの先頭へ戻る